ベトナム旅行(2006/11/04):6日目







フエ  二日目の朝食です。

三枚目の朝食は、“ブンボーフエ”といってフエ名物の麺で少し辛いです。

ブンは、押し出し麺
ボーは、牛肉
フエは、町の名前(フエ市)

サイゴンで食べたフォーの麺の種類が違う食べ物でラー油が入っています。
私には、それほど辛くなかったですが辛さに弱いベトナム人は、“ヒーヒー”言って食べてました。

今日は、フエの阮朝(Dai Noi)王宮跡見学に行きます。
ベトナム庶民の朝食風景。

ついさっきまでは、何もなかった歩道に突如、にわか食堂が出現します。
日本人の我々がここで食事をしたらあたるのは必死です。
王宮跡入口の前にあるフラッグタワー
1809年ザーロン皇帝時代に建造されました。台座は三層構造で高さ17.4mあります。塔の先端まで入れると29.52mあります。
現在のものは、1968年のフエ攻防戦で破壊され1969年に修復されたものです。
王宮入口の王宮門(午門;Ngo Mon)です。ミンマン皇帝時代に創建されカイディン皇帝時代に再建されました。

門口が3つありますが真ん中の門は、皇帝の外出時以外使用されませんでした。それなので今でも通れません。

この門の名前の由来は、正午になるとこの門の真上に太陽が来ることに由来しています。

                       裏から撮った画像→








太和殿(Noi Dien)王宮正面にある大きな平屋の建物で中国の紫禁城をまねて建てられましたが当然ながら規模は小さいです。
ここでは、皇帝の即位式が行われ、皇帝の座る金箔の椅子と台座が中心に置かれています。
ザーロン皇帝が創建しましたがフエ攻防戦で完全に破壊され1970年に再建されました。
太和殿の中は、撮影禁止でした。

王宮には、堀がありますがここは、夏になると蓮の花でいっぱいになるそうです。
ベトナムの国花は、蓮の花です。
太和殿の裏側は、1968年のフエ攻防戦でほとんどの建物が破壊されご覧おとおり何もありません。
しかし、少しずつですが修復、復元が行われています。












顕臨閣(Hien Lam Cac)

阮王朝の菩提寺で庭には、歴代皇帝の名前を記した9つの大きな青銅の鼎(人の背丈ほどあります。)が置かれています。

← 顕臨閣入口の門






← 顕臨閣入口の門の裏側








← 顕臨閣と門の間にある建物































← 大きな鼎、その後ろが顕臨閣








← 顕臨閣の中
長生殿(Dien Tho)

ザーロン皇帝が1803年に母親のために建て、高価な椅子や中国式のランプなどのアンティークな装いでしたがフエ攻防戦で破壊され建て直されはしました。しかし、残念ながら当時のきらびやかさは、まだ再現されていません。

(ベトナム政府早く復元してくれ!)








フエの旧市街











← 空芯菜だそうです。































← いかにも共産圏って感じ。
フォーン川に沈む夕日


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